旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書【7】のつづきです。
宿谷麻子さん
詳細は書かないが、彼女も監禁中の「虐待」が原因で、
解放後も、
PTSDに苦しみ、


亡くなった。
■初めは純粋な動機だったはず、
1966年から始まった牧師と家族による、
旧統一教会信者への、
拉致して監禁しての棄教説得。

それは、初めのうちは教会堂内での穏便な話し合いが始まりであった。
教会堂内で過ごす期間はだいたい1週間で、
脱会報酬も僅かであった。

しかし、回を重ねるごとに過激化していった。
1984年、
宮村峻(たかし)という、
小さな電気工事会社の経営者が活動に加わってから拉致監禁は、
過激さを増していった。

(脱会屋ビジネスという言葉はこの宮村峻から始まった。)
宮村峻は韓国まで出かけて行き、
韓国の主流派キリスト教が、
異端と見なした宗派やグループを批判する際に用いた
「血分け」という根拠のない誹謗中傷の方法を、
日本に持ち帰った。
宮村氏はそれを、
旧統一教会の教祖・文鮮明師を批判する材料として用いた。
効果はてきめんであった。
神の愛に燃える牧師程、
使命感に燃えて拉致監禁活動に力を入れた。
牧師達の多くがボランティアで活動していたのに対し、
宮村は多額の成功報酬を得ていた。
また、
行き場を失った元信者の女性たちを、
自分の愛人として自分の側に置くこともあった。


(拉致・監禁して虐待し、強制棄教させた女性らを自らの愛人する宮村峻)
現在、
宮村峻は、
立憲民主党の、
政策アドバイザーをしている。
⇒旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書【9】
※この記事は、つきしろキリスト教会 blogの
『旧・統一教会(世界平和家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書』
より、転載したものです。
(行間等修正しています。画像2点削除しています。)
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