私はこうして統一教会(現家庭連合)へ【1】のつづきです。
遡ること5年、1982年の春、私は福岡のアパートにいた。
大学に入学したためである。
コチラも四畳半ではあったが、東京のそれとは違い、小ざっぱりとしており綺麗だった。
テレビも冷蔵庫も炊飯器もテーブルも照明もあった。
半畳分と狭かったが、一応台所もあった。
親がお金を出してくれたからだ。
もちろん、アパート代も。
すねかじりの大学生ということになる。
おいおい語っていくが、東京時代の分は親の世話にはならなかった。
だから、ボロアパートだったというわけ。
大学に進学した理由が、またいい加減。
「どんな仕事をしたらいいか分からなかったから、とりあえず大学にでも行っとくか」
というもの。
親が聞いたら、目をむいて怒りそうだ。
分からなかったんだよ。
あの頃は。
家の経済状態なんて考えたことなかったし。
それなのに、入学したもののほとんど講義には出なかった。
出席が必須というものを除いては。
それでも単位は取れた。
試験前の丸暗記で。
過去の試験問題が堂々と売られており、それをいくつか買って覚えた。
講義にも出ずに、何をしていたかって?
遊び呆けるということはなかった。
内向的な性格で、一人でいることが気楽だったからね。
アルバイトをしたり、サークルで軟式テニス(現:ソフトテニス)をやったりしてた。
あとは、ゴロゴロしてたかなあ。
パソコンもスマホも無い時代だから、暇だったよ。
無為な時が過ぎていった。
だんだんそんな日々がバカらしくなってきた。
あと、2年生の頃には、やりたい仕事も見つかってた。
それは、印刷関連の仕事。
絵を描くのが子供の頃から好きだったし、本を読むのも大好きだった。
また、手先が器用だったので、それを生かせる仕事は?と考えたときに、
出た答えがPrintingだったんだ。
だから、やるなら現場の仕事だ。
そうすると、このまま大学に残る必要があるのかという考えにたどり着く。
在籍したのが経済学部ということもあった。
このまま、残って卒業して印刷会社に就職したとしても、現場に配属される可能性は皆無だろう。
空しい毎日だったし。
このまま学費を払うのももったいない。
「中退するか?」
そんな思いが湧いた。
つづく。
【第2話後記】
申し訳ありません。まだ、統一教会は出てきません。
せいぜい、アパートの先輩から、
「サークルに入るなら、原理研究会だけはダメだよ。やめれないから」
と言われたことだけですね。
しかも、当時は原理研究会と統一教会との関係すら知りませんでした。
結局、最後まで原理研究会と接することもなかったなあ。