私はこうして統一教会(現 家庭連合)へ【7】のつづきです。
私はあるオフィスにいた。
面接である。
記憶違いの可能性もあるが、その会社の名前は日総工産。
期間工の仕事を紹介してもらうためだった。
これだと稼げると思った。
現在でも、求人情報を見てもらうと分かるだろう。
一般的な非正規雇用の時給は1,000円ちょっと(福岡では)。
それが、期間工だと1,500円とかざらにある。
面接官に履歴書を見せると、「えっ!」と驚いていた。
そりゃそうだろう、大学の新卒なのだから。
そんなアホな人間は、ほとんどいないはず。
事情を説明すると、一応納得していたが。
私は言った。
「一番稼げるところを紹介してください」
3月下旬、私は静岡県浜北市(現在は、浜松市に編入合併)という所にいた。
大学の卒業式に出ることもなく、早々に働き始めたのである。
そこは、ホンダ直系の子会社で、車の部品を製造する工場。
プレリュード、インテグラ、シビックなどホンダ車が、ガンガン売れていた頃だった。
いくらでも仕事があるというワケだ。
ちなみに、この時、既に私はhonda党になってたんで、嬉しかったなあ。
とにかく働いた。
朝の8時から夜の10時までと、
夜の8時から朝の8時まで。
休みは週1日だけだったかな(よく覚えていない)。
寮と工場を往復するだけの毎日である。
娯楽といえば、当時日本で最初に販売された、ソニーのポータブルCDプレーヤーで音楽を聴くことのみ。
テレビも無かった。
音楽はこんなのを聴いてたっけ。
酒も飲まず、パチンコもせず、遊びにも行かず、ひたすら働く日々。
たまに、喫茶店でコーヒーを飲むことが唯一の楽しみだったか。
もちろん、盆も正月も帰省はしない。
旅費がもったいなかったから。
寮はひどくてね。
汚い、ボロい、というのではなくて、一緒に住む人たち。
基本的に、定職につきたくない、つけない人が多かった。
麻薬を過去にやってた人、2階から飛び降りる人など、初めて会うタイプの人ばかりだった。
共同の冷蔵庫に食べ物を入れていても、いつのまにか取られちゃうし。
さすがに、危害を加えるような人はいなかったけどね。
もちろん、真面目な人もいたよ。
それは、北国から出稼ぎに来てるおじさんたち。
凄かったなあ。
私以上によく働いていた。
寮といえば、エピソードが一つある。
その頃はまだ、煙草を吸ってたんだ。
夜勤を終え、飯を食べ、布団に入って寝ていた。
すると、目が覚めたんだよ。
激しい咳で。
目も強烈に痛い。
起き上がると、真っ白だったんだ。
「何?」
寝ぼけていることもあり、すぐには正体が分からなかった。
そして、理解する。
煙だった。
部屋中に煙が充満していた。
そして、赤いものが見えた。
こたつ布団が燃えてたんだ。
ただ、幸いなことに炎は出てなくて、チリチリチリという感じでじわじわ燃えていた。
私は慌てて、窓を開けて、外にこたつ布団を放り投げたさ。
そして、換気するためにドアを開けると、煙が廊下に広がった。
もう、寮中大騒ぎだ。
「火事だーー!」と。
私が「すみません、すみません、もう大丈夫です。煙草の火の粉がこたつ布団に落ちたみたいで・・・」と平謝りして落ち着いた。
しかし、その後、しばらくは咳が止まらなかったなあ。
よくまあ、一酸化炭素中毒で死ななかったもんだと思う。
そして、燃え上がらなくて、ありがとうだった。
やっぱり、運が強いのか、守られているのか。
そんな感じでとんでもないことを起こしながらも、継続して働き続け、やがて春がやってきた。
期間満了の時である。
ここでも、「正社員にならないか?」と持ち掛けられたが、断った。
ホンダ系列の子会社ということで、大変魅力的ではあったが、なにぶん私は機械が苦手でね(笑)。
それに、何より、私には東京に行くという目的があったのだから。
ところで、お金はいくら貯まっただろうか?
学費は?
働かなくても食っていけるだけのお金は?
つづく。
【第8話後記】
この期間工の話の中で、山上被告と小川さゆり(仮)さんを少しばかり登場させるつもりだったんですが、長くなったので、次回に持ち越すことになりました。
乞うご期待。
って、別に大した話にはならないです、たぶん。
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