日本の最高裁と統一教会
「宗教虐殺」の許可証? その2
数十年の判例を変更し、刑事犯罪ではない民事不法行為が宗教法人の解散理由になる論理的な理由はない。
2025年3月11日 中山達樹
本シリーズ「その1」では、犯罪のみならず民事不法行為によっても日本の宗教法人を解散できるとした2025年3月3日の最高裁決定が、東京地裁で係属中の統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の解散命令請求訴訟にどう影響するかにつき述べた。
2022年10月、岸田元首相は一夜にして見解を変え、刑事犯罪のみならず民事不法行為が宗教法人の解散事由の「法令に違反」といえると述べた。
2025年3月3日、最高裁はこの岸田元首相による「心変わり」を支持した。
しかし、法律的に精査してみると、民事不法行為が「法令に違反」(宗教法人法81条)にあたるという最高裁決定は全く論理的ではない。
最高裁は、単に解散への道を開きたいだけのようだ。
日本では、「法令」は「法律、条例または命令」と定義されている。
岸田元首相の変節後2年半、「法令」という用語が、信教の自由の甚大な侵害を正当化できるほど十分に具体的なものか否かが、罪刑法定主義の見地から議論されてきた。
このような制限を正当化するには、漢字2文字の「法令」は広汎すぎるように思われる。
実際、1995年のオウム真理教事件高裁判決は、「刑法等の実定法規の定める禁止規範または命令規範」に限定すべきと判示した。
しかし、2025年3月3日、最高裁は、民法709条の「不法行為を構成する行為は、不法行為法上違法と評価される行為、すなわち、一定の法規範に違反する行為であ(るから、『法令に違反』する)」と判示した。
これは論理的でなく、間違っている。
なお、日本では、不法行為が「違法」であることは争いがない。それゆえ、今回の最高裁決定の要旨は以下である。
- 違法な民事不法行為は、「法規範」に違反し
- 「法令」にも違反する
しかし、「法規範」及び「法令」の違反は、ともに「違法」だが、同一ではない。
まず、「法規範」は法律用語ではない。
とても曖昧でどこにも定義されていない。この不明瞭な用語を用いて、最高裁は、明文のルールのみならず、社会規範、不文律や衡平法をも意味するようだ。
このように、「法規範」という表現は、「法令」という表現よりはるかに広い。
それゆえ、たとえ不法行為が「法規範」に違反するとしても、だからと言って「法令」に違反するとはいえない。

最高裁は、法学部生でさえすぐ間違いだと分かるような三段論法を用いて、論理の飛躍をした。
最高裁は、岸田元首相の見解に反対する勇気がなかったようだ。
最後に、この最高裁決定は、家庭連合の解散への道を大きく開くと解釈され得る不気味な言葉を使った。
最高裁は、民事不法行為が著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる事態を招き、その宗教団体に法律上の能力を与えたままにしておくことが不適切となることも「十分に有り得る」と判示した。
本シリーズ「その1」で説明したとおり、今回の最高裁決定は、家庭連合の行為が解散の主原因たる「公共の福祉を害するか否か」につき、審理も判断もしなかった。
それにもかかわらず、不法行為に基づく解散が「十分に」可能と述べた。単に可能性があると言うだけでよかったはずである。
このように、「十分に」という言葉が追加されたことは、家庭連合の解散のために最高裁が広く道を開いたと否定的な解釈をすることもできる。
安倍暗殺事件後、暗殺犯の山上容疑者は、安倍氏が懇意にしていた家庭連合に恨みを抱いたために暗殺したと報じられた。
もっとも、彼の真の動機は、遅々たる刑事手続のため、3年近くにわたり不明のままである。
これにつけこんだ反カルト派グループは、家庭連合が非難されるべきという奇妙なストーリーを広め、マスメディアがこれに飛びついた。岸田元首相も続いた。
今、人権の最後の砦として、この狂奔を食い止めるべき最高裁判所でさえも流されてしまったようだ。
しかしながら、日本の統一教会・家庭連合がその60年の歴史の中で1つも刑事犯罪を犯していないという事実は銘記されるべきであろう。
以上
(※これは、Bitter Winterに発表した、3月3日の過料決定の最高裁判断に対する中山達樹氏のコメントを、和訳したものです。)
※この記事は、許可を得て、川塵録の「宗教虐殺」の許可証 その2を転載したものです。
(便宜上、一部変更しています。)