旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書【11】のつづきです。
聖書が神の言葉なのだ。


(神の言葉の後ろには、全知全能の神が存在する)
キリスト者とは、
またキリスト教会というものは、
その主なる神さまの、
声なきお声を聞くために、
み前にぬかずんでゆく存在、
で、あるハズなのだ。

それなのに、
いつの間にか、
新聞紙の前にぬかづんでいる。
テレビの前に、
ぬかづんでいる。
いつの間にか、
日本の教会は、
そんな堕落した教会に、
なってしまっていたのではないか?

これはもはや、
偶像礼拝の罪ではないのか?
目に見えないまことの神では無く、
目に見える、
新聞紙やテレビ画面を見て、
そこから流れて来る、
心地いい話を聞いて、
キリストの花嫁なる教会は、
教会の活動方針を決めていたのではないか?

(テレビに踊らされる宗教指導者)

(テレビに洗脳される宗教指導者)
その結果が、
神の御心とは全く逆の立ち位置に、
自分たちの教会を、
置くことになってしまったのではないか?
これは、
すべてのキリスト教会への、
警告なのではないか?

(空中の権威を持つサタン)
⇒旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書【13】
※この記事は、つきしろキリスト教会 blogの
『旧・統一教会(世界平和家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書』
より、転載したものです。
(行間等修正しています。)