沖縄の海



旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書【12】のつづきです。




謝罪と和解へ



『さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、
彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、
彼の前方に立っていた。
ヨシュアはその人のところへ行って、言った。
「あなたは私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」


すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」
そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝んだ。
(ヨシュア記 5章より)

ヨシュアは御使いを見て、
「あなたは自分の敵か?味方か?」
と、問うと、
御使いは、
その問いには答えず、

「わたしは万軍の主の将として来た」
と、言った。

自分が、何者であるか、
ということをヨシュアに告げるのである。

するとヨシュアは、
全てを「察して」「悟った」。
彼は即座に「理解」した。

神は自分の味方なのか?
敵なのか?
という問いは、
信仰者としては「愚の骨頂」である。

私が「神の側」に立てているだろうか?
それとも神の御心とは
「真逆の側」に立っているのだろうか?

神の御声を聴き、
そのお言葉に従えているだろうか?

これこそが、
真の信仰者の姿勢である。
これを読者に語りかけているのが、
この聖書個所である。

自分には自己決定権がある。
自分の考えは神の考えである。
自分の判断は神の判断である。
自分の言葉は神の言葉である。
この高慢さを、
私たちは常に持ちやすいのではないか?

ヨシュアは200万人ものイスラエル難民を率いて、
多くの決断を迫られる立場にいた。
大変なプレッシャーだっただろう。

しかし神を信じる者にとって、
最も重要なことは、
生ける神の御声を聴き、
そしてそれに従う、
という行為だ。

聴き従うことは、
生贄(いけにえ)に勝るのです。
(第一サムエル15:22)



新聞紙に、
何と書かれようが、
テレビ画面が、
何と言おうが、

神は、
私に
「何」と仰っているのか?

主よ、
私は何を、
どうすべきですか? と、

神の御前にひざまずいて出て行くことが、
まことの教会であり、
まことの牧師の姿勢だと、
この箇所は私たちに伝えているのだ。

この、
生ける神の、
声なきお声を、
教会がいかに聞いて来なかった。
という結果が、
神の教会をして、
拉致監禁という
「犯罪」を起こさせてきた原因なのではないだろうか?

(魔女狩りに加担してきた日本のキリスト教会)


旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書【14】




※この記事は、つきしろキリスト教会 blog
旧・統一教会(世界平和家庭連合)と日本のキリスト教会についての意見書
より、転載したものです。
(行間等修正しています。)


By Tadahiro.K

洋楽・ONE OK ROCK・坂本龍馬・hondaが好き。 ハイレゾ音源のAmazon Musicをお気に入りのオーディオで聴きながら、 いろんなことを書いています。

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